書評:
「ドル支配は続くか」中尾茂夫 大阪市立大学教授
ちくま新書 ¥660
日本は今1,200兆円の個人資産があるといわれながら、定期預金の金利は0.25%と史上最低を続けており、従業員の年金を運用してきた年金基金にも破綻するものが相次いでいる。都銀には公的資金を投入し、さらに日銀は貸し渋り対策と称して金利の低め誘導、日銀券を市場に過剰供給している。しかし、貸し渋りは一向に収まらず、設備投資に資金が回る気配はない。日銀が98年12月9日に発表した11月の全国銀行の総貸出し平均残高は、前年に比べ1.2%減少し、6兆円も貸し出しが減っている。いったいこの金はどこへいったのか。
筆者はいう。「日銀特融をはじめ資金供給はかってなく潤沢だった…その資金供給(過剰資金)がどこへ向かったか」「日米間のインターバンク取引における、日本からアメリカへの短期資金の供給がその解答だった。景気刺激策として低金利を採り、さらには資金逼迫に対応するためにインターバンク市場に日銀特融を実施し、98年3月には、公的資金で銀行の劣後債や優先株を購入した。しかるに、金利が安く、潤沢な資金は、政府の目論見とは裏腹に海外に流出し続けている。」「日本の金融機関は不良債権を抱え信用不安に陥り、インターバンク市場における資金調達がままならなという状況下にあって、日本の低金利資金はアメリカに流出し、それがアメリカの高金利金融商品に投資され、その差額がアメリカの金融機関の利益となって跳ね返ってくる。これが、アメリカの株価高騰の背景である。」と。
こうした事実は、新聞・TVではほとんど報道されていない。唯一、日経の「大機小機」で記者の愚痴が聞かれる程度である。9月小渕総理大臣が訪米するにあたって、「平成の高橋是清」といわれれる宮澤大蔵大臣は史上最低の公定歩合をさらに低め誘導するという愚策を演じた。表向きは“景気対策”であったが、史上最低の金利をさらに低め誘導しても何程の効果もない。8月末にウオール街の株価が暴落したことを受け、日米の金利差を維持し、短期資金をアメリカに還流し、株価を支えることに目的があったことはいうまでもない。
ではアメリカ経済に不安はないかといえばそうではない。10月以降急激な円高になった理由・この間のニューヨーク株式市場の不安定な動きはアメリカ経済への不安感が根底にある。筆者はアメリカの貯蓄率の低下を指摘する。「アメリカの90年代における家計貯蓄率は4〜5%程度に推移しており、80年代初頭の8〜9%という数字に比べれば、半分程度にまで下落している。」と。貯蓄率低下の背景には、「アメリカの労働単位当たりの賃金率低下」=労働条件の悪化がある。貯蓄率低下は「所得そのものの削減によって、貯蓄に回す余裕そのものが吹き飛んだことの結果である…ミューチャアル・ファンドの膨張による株価高騰でも、その背後には、年金貯蓄を株式投資に回す中間層が巨大であり、賃金下落や失業への恐怖を、株式投資の好調さでカバーしているという構造がある。生活に余裕があるから株式投資を行っているというよりも、株式投資による高収益がなければ生活が破綻しかねないという苦しい構図」がある。
日本では今、従業員が自己責任で運用する401Kというアメリカの企業年金制度が大きく取り上げられているが、株式相場の変動によって将来の年金生活が大きく影響を受けるような年金制度が制度として安定するとはとても思えない。
ではどうしてこうした不安定なアメリカに資金が集まるのか。「世界最大の債務国アメリカが何の引き締め策も採る必要がないのはなぜか、しかも世界最大の債務国がIMFの勧告すら受ける必要がないのはなぜか」。その秘密はドルが基軸通貨だからである。「基軸通貨は国際決裁取引を、資産ではなく自国通貨建て債務で決済できる。」「短期資本がアメリカから流出しても、それがドル建てのまま変わらなければ、それはドルの持ち手が変わるにすぎず、アメリカとしては資金逼迫に陥らずにすむ。」のである。
「通貨危機にあえぐアジア諸国に対してIMFがすすめた処方箋」は「金融財政」の引き締めであった。結果、8月に解決をみた韓国現代自動車の労働争議では全従業員の2割に当たる1万人の労働者が首を切られ、インドネシアでは暴動が起き、スハルトが退陣させられることとなった。しかし、基軸通貨の覇権の上にあぐらをかくアメリカは金利引下げにより株価対策を採る以外の何の対策も採っていないのである。
一方、日本はどうか。97年9月、榊原大蔵省財務官は1000億ドルのアジア通貨基金構想を提案したものの、米財務省の反対の前に挫折せざるをえなくなった。そもそも、小渕内閣への政権交代も、橋本内閣の緊縮型経済政策がアメリカの株価=経済に影響が及ぶと見たからであり、さかのぼれば、宮澤政権から細川政権への交代も日米の経済摩擦にが調整できなかったためであり、鈴木内閣の交代も、田中内閣の交代も日米関係の摩擦の調整を解決できなかったことによる。こうした対米同盟一辺倒の政治・経済外交を今後とも採りつづけている限り、「円の国際化」もなければ、アジア諸国の信頼を得ることも不可能である。ましてや、全国の50%を占める沖縄の米軍基地の一部返還もありえない。
11月、中国の江沢民主席が来日したが、江主席は小渕総理との会談をはじめ全ての演説において、日中間の歴史認識に触れた。98年6月、クリントン大統領が訪中して「建設的戦略的パートナーシップ」を華々しく打ち上げたこととは好対照である。中国は小渕政権に対しほとんど信頼を置いていないといわれる。対米関係において日本が“思考停止”に陥っているかぎり、今日の日本を取り巻く政治・経済・外交の閉塞状況からの脱出は不可能であろう。
筆者は、「はじめに」で、「国際金融事情と国際政治力学はきわめて密接である。その中で、ほとんど政治力学上の手腕をもたずに漂流する日本」が「21世紀に生き残れるかどうか」を問うている。そのため「『アジア』こそが、一つの鍵であり、暴走しやすい国際的な短期資金の動きを監視する必要性も大きい。ヨーロッパがEUでまとまり、北米がNAFTAで結び合うなか、アジアだけがバラバラでは、他地域と交渉する術がない。アジア志向にせよ、あるいは金融システム改革にせよ、早急にアイディアを固めるべき課題は山積みしている。先行する一つのモデルとして…EUの行方は大いに気になる」と「あとがき」で結んでいる。